2020.01/29_Beyond the rut

洋服を着ることとは自分を映し出すということ

 

今は朝の8時。

雨上がりの東京という場所で寝起きにはベランダで煙草を吸う。

朝の始まりは自分の手帳を追うことから始めるのが日課。

前日までにまとめて(毎日日記をつけたりもする)それを見返してから始まるのがスタート。

 

ベランダから道を見るとまだ雨上がりの路面は濡れている。

今日も単車で店に向かうつもり。

あと1時間か2時間。

路面が乾くまでは自宅で仕事をすることになるのだろう。

 

さて、クセのように書くことを始める。

それが今。

 

洋服は、洋服を着ることは自分自身の今の心の在り方を示し表すものだと思った。

 

つまりは、例えば朝起きて「今日なにを着ようか」と思う。

その心はきっと「今日の気分」を表す。

もちろん寒さ、暑さの気温に合わせてもある。

でもそれも含めてきっとそれは「鏡」だろう。

実際にその心の鏡に映し出された気分や気持ちを着るものに反映させる。

 

タイトなスタイルがいいな、とか。

あの映画のワンシーンのような日で在りたいな。

とか。

昨日の帰り道に聴いていた音楽に影響されたり。

 

そんなことはない?

 

自然ときっとそれは明確に思わなくてもみんなそうだと思うんだ。

黒を中心に着るのか、紫を取り入れるのかってきっと気分が違うはず。

無意識的であってもきっと皆そういう自分の鏡に従って洋服を手にするのだと思う。

少なくともうちのような洋服屋に通うような洋服好きの人だったらさ。

 

もちろん仕事着を着て家を出るような職種であれば平日の仕事の日は決まったルーティンかもしれないけれど。

 

クローゼットを開き、洋服を見ながらそれを思うのか。

自身の鏡を覗き込んでからクローゼットを開けるのか。

 

洋服が語りかける日もあるだろうし、心が先に決めていることもあるだろうね。

 

単純な話。

雨が降っている日には俺は車で店に向かうことがある。

昨日なんて日がそうだった。

単車での往復が基本だから、そんな車で行く日にしか着れないような(つまりは単車だと裾がタイヤなどに絡んでしまう可能性があるような服だったり)コートを羽織ったりする。そうするとやっぱり(つまり不思議ではないということ)その日の立ち振舞の気分は違うのだ。

当たり前だ。

ファーのついたブルゾンを着込む日と黒いロングコートでは出で立ちに合わせて気分は変わるのが当然だということ。

 

そうだな。

もっと分かりやすく言えば俺はほとんど持っていないし履く日は少ないけどスニーカーとブーツだったらもっと明確に違うよね。

足音が違うなんてなんて素敵なことだろう。

スニーカーの「キュキュッ」とした足音と「ゴツゴツッ」としたブーツの足鳴り。

それは自身の気分を変える。

 

まさか気付いていない?

 

洋服ってその為に存在してるんだよ。

自分の鏡、自分の心の在り方。

それを

「楽しむ」

その為に僕らの無駄な洋服は存在する。

 

在る種の無駄が人生の心を豊かにすると俺は常々思っている。

単車よりも車は安全で便利だもん。

音楽がなくたって人は生きていける。

いつもより少しだけ贅沢な食卓は家族の気持ちを豊かにする。

 

最高の無駄を目指して。

今日も仕事へ向かうのだ。

 

さて、明日は先日の Camelife の話とか書けたらいいな。

* 春物の新作リリースは2月からを予定しております。

 

Urano Takahiro ウラノ タカヒロ
Urano Takahiro ウラノ タカヒロAuthor

Garage EDEN shop Editor.