9月21日

奇しくも長女のいちごと同じ命日。

そんな日に次女のみるくが天国へと旅立ちました。

 

闘病の中ではありました。

それでもその日、その時はあまりにも突然であり、もちろんのこと心の準備などできているはずもなくまたそれはどの瞬間であっても容易に受け入れることなど出来ないものです。

 

 

スヌーピーのぬいぐるみは長女いちごにとても似ているので、いちごが居なくなってしまってからのこの2年という時間どこかに出かける際にも連れて行っていた。

いちごのことも大好きだったみるくは同じ日を選んで逝ったのかもしれない。

そしてこの日はカミさんのお父さんの命日でもある。

あまりにも出来過ぎた日。

 

「忘れないでね」

 

そういうことなのか。

忘れることなど出来るはずもないのに。

 

 

人間の子供が出来なかった僕ら夫婦にとって、またそうでなかったとしても「我が子」であることはきっと変わりはなく、また代わりも居ない。

 

2歳を過ぎた頃、みるくは今現在うちにいる「ここあ」と「そらまめ」、そして義理の姉のところに居る「ハナ」と僕の姉のところにいる「らいと」の4人の子供を産んでくれた。

父親は当時義理の妹のところに居てくれたドギーだった。

 

無事に出産が終わった矢先のこと、少し様子がおかしいとなって病院へ連れて行くとリンパ腫であることが分かった。

 

 

「長くても・・・下手をすると数週間」

 

とても聞いていられないようなことを主治医は言った。

精密検査や細胞の検査をしてもそれは絶望的な予測しか出来ない内容だった。

静かにその時を待つかほぼ無い可能性に掛けて治療をするかの選択に迷うことはなかった。

 

毎日朝と夕方と病院へと連れていき抗がん剤の点滴を行ったり、その間は片時も目を話すことが出来なかったので仕事も抱っこしたまま続けた。

 

奇跡としか言いようがなかったし、主治医や他の先生でさえそう言ってくれた。

寛解(がん細胞が完全に見えなくなった状態)という診断までは1年くらいかかったのだろうか。そしてその間もその後も毎週病院へ通った。

先生が次の検査は1ヶ月後にしましょうと言われても、心配だからと言って時間を詰めて通い最期には先生から「ウラノさん心配しすぎですよ」と言われた。

それでも検査の通院をやめなかった。

 

 

8歳と5ヶ月という時間。

小さい体ながら気が強く他のワン子供の中では完全な女王であったみるく。

小さい頃はとてもやんちゃでカミさんは育てるのにとても苦労していた。

ソファーを噛んで丸裸状態にしたり、俺は海外出張の当日の朝にパスポートを噛みちぎられて成田からの飛行機に乗ることが出来なかったり(きっと遊びに行くのだと思ったのだろう)いろいろとあった。

 

親として俺は失格です。

もっと早い段階で細く小さいこの体の中にきっと見つけてあげなければいけなかった病があったのだ。

もっともっといつも見て気づいてあげなければならなかったはず。

子は親を選べないのに、選んだ子を守りきれなかった。

守りきれなかった。

 

悲しみの涙と悔しみの涙が止まることはなかった。

 

生きていてくれている間、眠りが浅い俺は夜毎真夜中に子どもたちがちゃんと息をしているかを確かめるのが日課になっている。

そこに居てくれることをいつも確かめながら。

今はそれがそこに居ないことを確かめる日々になってしまった。

居たはずの子供がいないということを確かめるなんてね。

 

 

昨日、みるくもいちごも好きだった砂浜へ行きました。

カミさんと俺と合わせて6人で行っていた場所に今は4人。

 

生まれてきてくれてありがとう。

我が子になってくれてありがとう。

いつかまたそっちで一緒に暮らせるように、今はまた今日から歩き始めます。

 

 

* なにも更新などが出来ずに心配を頂いたり、頂いているご注文などの発送も出来ずに申し訳ありませんでした。週末の Youtube も出来ずにごめんなさい。

いろいろなこと今日からなんとか復帰してゆっくりの立ち上がりとなりますが進めていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

 

 

Urano Takahiro ウラノ タカヒロ
Urano Takahiro ウラノ タカヒロAuthor

Garage EDEN shop Editor.