読書の虫の心が帰ってきた
しばらく意図的にもその虫の動きがなく、じっと奥底で身を潜めていたみたいだったのだが数日前彼らは突如として僕の中で蠢き始めた。
今日なんて日も結果もやがまだ掛かる朝の早くに目が覚めてしまって、どうしてもその300ページ程度の重さを手に持つことに心が踊り安心出来る時間となる。
確実なこと。
そういった自分にとって帰ることの出来る時間や安心が出来る後ろ盾。
つまりは安心して覚醒したまま眠りにつける窖のような場所があることで、武装した外での闘いに臨むことが出来るような気さえしてしまう。
ブログを書いていた本来の時間にも手がつかずに本の虫となっている自分が居た。
3日の間の朝。
梅雨に入るという東京。
雨には関係ないだろうがアラートも解除だそうだ。
世間と自分が分断されていくのを感じる。
いや、それ自体はずっと幼少期から感じていたこと。
別に違和感など今更ない。
向こうがなのかこっちがなのか。
いつも椅子取りゲームで音が止むのが僕には聴こえない。
違うな。
そもそもその場にさえ居ないのだ。
それが寂しいと思っていたのは随分と昔のこと。
僕が僕のための店を開き、その存在の意義などは無い。
少なくとも社会や世間はそんな窖に入り込みはしない。
光を持った手を向けることはない。
そして、その光は僕の望むものでもない。
しかし僕は店に立ち僕のための扉を開く。
つまりはやはり窖のための入り口がある。
本の中の世界と同じ。
僕にとっての大切な居場所。
きれいに言えば朽ちて汚れた聖域なのだ。
ハローベイベェ
やぁみんな。
僕は元気だ。
そっちはどうだい?
How are you?
I’m fine.
帰り道。
還ることの途中道。
それが今であり、今は常に過去であること。
限られた時間。
焦りは達観を呼べば諦めとなる。
まだ、もう少しだけ。
あと少しだけ。
週末の予告編を作りました。
1人のライブも結局やっぱり今週は日曜日にします。
でも時間は少しだけ短く。
良かったら御覧ください。
ご覧の上、土日のライブでもお待ちしております。