20年くらいじゃ秘伝とは呼べないかもだけど
たぶん。
あれこれとやらなきゃいけない(=やりたい)ことが多すぎて、それが頭の中で蔓延していて。
結局、やはり(=つまり予定調和的)朝の3時に目が覚めた。
今は8時過ぎ。
ある意味ではもう半日仕事。
ようやくと(=あまりにも忙殺過ぎた)スケジュール組みやいくつかの案件をリスト化するところまで書き出せる時間が生まれて、なんとかこれであとはこの案件たちに優先順位を与えてそこから切り崩していく作業としての仕事へ向かう。あちこちへと散らばったメモを数枚のメモへまとめたり、オーダー用紙へと書き出したりと。
さて、昨日かな。
ふっと思ったこと。
鰻屋さんだとか、焼き鳥屋さんだとか、お寿司のツメとか。
「秘伝のタレ」
って存在したりする。
継ぎ足し継ぎ足しで受け継がれていくってやつ。
あ、、、ここまで書いて。
跡継ぎがいねーからそもそも秘伝にならねーじゃん!って気がついた。
まぁ、いいか。
たかだか洋服屋人生20年とちょっとの今。
店を終える時に大体25年とか30年の少し手前くらいになるのだと思う。
もちろん、だいぶ変わったことはあるだろう。
それを成長と呼べばそうかもしれないけれど、俺はあの頃もブーツカットを穿いていたし今もまた新しいブーツカットなんてモノを作りたいと思い始めている。
あの頃もエンジニアブーツだったし、今もやっぱり新しいエンジニアブーツを作りたいって思ってる。
同じ「ような」モノを売ったり、作ったりしながら少しでもタレの味は熟成したのだろうか?
そうだったら嬉しいなって。
そんなことを思ったわけです。
もっといい味を目指したい。
もちろんそれはある。
だけれど、それすらも考える暇もなく20年と少しあーでもない、こーでもない。
あー売り損なった。
あーすごく売れた。
そういうこともあったし、今もある。
壺の中のタレは、タレという存在を変えることはない。
モノという存在はタレに浸す前の焼き鳥か白焼きの鰻なのか。
じゃぁ、タレってなんだ。
俺自身であり、店自身であり。
味付けを決めるのは店主の舌だから。
焼き鳥も鰻も寿司も。
仕込みが大切。
夜からの営業に向けて(=コロナ禍ってのは本当に嫌なものだ)朝早くから仕入れに行くのだろう。
その日1番の鳥を探して、鰻を探して、魚を探して。
もう4年を切っちゃった。
俺の店。
そう思うと仕込みの時間ってすごく限られているんだなって。
それがきっとこのくだらない話を思った最初なのだと思う。
最後、3年とか2年。
最後の最後の1年は仕込み済みのモノを売ってオシマイ。
だとすれば来年へ向けたモノは最後の3年への為になる。
再来年は。
と。
キツイんだ。
金がなくて。(笑)
そう、この1年と少し結構派手に仕込みすぎた。
しかも、どれもこれもまだ利益の幅が出てくれていない感じの「これからの為のモノたち」だから。
一昨日の月末にちょっと冷や汗が出た。(むしろ事前に経理をやっていなくてよかったのかもね)
それでも、もしかしたらあと4年の間に本当の意味での秘伝のタレにしたいんだ。
秘伝のタレの味を深めたいんだ。
終わった時。
終わったあと。
「あぁ、あの店の味ってよかったよね。もう無くなっちゃったけど。」
って思われたい。
さすがにそのくらいの欲はある。
だから。
今日も朝の3時から来年へ向けての仕込みをしてましたって話です。
さて、これから店へ出てまた作業とタレを深めます。