最愛の子どもたちのために

別荘というものを買ったのは 2015年 のこと。
今からちょうど6年前くらいの今くらいの夏だった。
・・・ちなみに日常住んでいる本宅は普通の賃貸アパートです。
その頃はワン子供が長女の「いちご」(2018.9/21 逝去)と次女の「みるく」(2020.9/21 逝去)とみるくから生まれてまだ1年にも満たない長男の「そらまめ」と三女の「ここあ」が居た。

購入の前年の2014年、みるくは出産直後に「リンパ腫」の診断を受けた。
最初はいつも旺盛だった食欲がなく軽い風邪のようなものかもと思って病院へ連れて行ったあとの診断にどうしていいか分からないほどうろたえた。

選択肢は少なくて、抗癌剤、放射線の治療をせずに放置すれば余命は確実に数週間であると分かった。
当時のみるくはまだ2歳くらいで若く、それは逆に病気の進行が早ことも意味していた。
迷わずに治療を選んだけれど、
それでも完治(寛解)の可能性、生存率の低さはある種の圧倒的なものだった。
人間並みのがん治療に掛かる費用(そして無保険だったので全額負担)と付きっきりの看護の日々。

あの頃はまだ店はほとんど来店もなかったし、イタウ部長以外のスタッフも居たから申し訳なかったけどほぼ全ての時間をみるくに当てた。毎日店にも連れて行ったし抗がん剤のあとには食事も採れなくなってしまうのでどうにかして食べることが出来ないかと苦慮した。
抗がん剤の治療自体も本人の体調と血液数値とのにらめっこで治療自体が出来ない日も多かった。

ほぼ半年くらいだろうか。そんな生活は続いてまさしくみるくと我が家には奇跡が起きたのだと今も思っている。(そしてそれは担当してくれた獣医先生もFAMILYの中にもいる獣医さんも驚きでもあったよう)
発症前とは見違えるほどに回復、改善し元気な姿。

・・・この間の治療の全データ(血液検査の数値や内容などなど)全部記載して取ってある。もし、万が一へ備えて子どもたちの成長の記録や治療データは基本全て僕はファイルするようにしている。もちろん治療費なども含めて。

治療の間は特に僅かな傷や体への負担を考えてほぼ全ての時間を自宅で過ごしていた。
他の子供達ももちろん自分たちも。
ようやく外出の許可が降りたあと、ちょうどすぐみるくの誕生日だった。
家族全員で奄美大島へ行った。

その建物以外に周りには「一切なにもない」というペンション(と言う名のただの他人の家と言った感じ)を借りた。

周りには本当になにもなくて、そのかわりに歩いて5分くらいの場所にこれまた人気のないビーチがあった。(実際に人を見掛けたことはなかった)あまりにもそのロケーションが気に入った僕は、東京へ戻ったあとにカミさんに「あぁいう家があれば子どもたちが喜ぶね」と伝えた。
実際奄美大島で過ごした数日の間、ワン子供たちはすごく楽しそうだった。
誰もいない庭で遊び、砂浜を走って、勢い余って海にも入った。

元々観光地や人がいる場所が苦手な僕とカミさん。
特別な旅行なんてのもしないことが日常。(外食すらも基本ほぼしない)
子どもたちも俺があまりにも過保護なせいで正直社会性がなく、一般のドックランなどでも遊ぶことが出来ない(すぐに吠えちゃうし)し、楽しむことが出来ない。

だから、こどもたちの為にという名目で別荘を買った。(通称「こどもーらんど」)

みるくの治療はその後も定期的に検査が続いたけれど、本当に奇跡的に再発もせずに数年を過ごすことが出来た。俺の休みは昔から少なかったから(今も)本当に時々しか行けないけれど、誰も何もしてくれない、なにもないその時間は家族にとっては大切なものだったし今もそう。
本当に古いただの一軒家でもちろん中古の中の中古で新車のベンツよりずっと安い(車種にはもちろん寄るけど)、たぶんトヨタのアルファードの新車よりも・・・(値段知らないけど)みたいな。
↑調べたらアルファードの1番グレードの良いやつはやっぱり買えないくらいかな。
それでも今も昔もとにかくお金と時間は全然ない僕なので結構な負担だったけれど、結婚前に溜めていたカミさんの貯金なども足して無理をして買った。
誰にも気を遣いたくないし、遣われたくもなかったから。
そんな感じ。

そんな訳で休みが取れた時はほとんどはこの別荘で過ごしています。
浜辺までは歩いて10分掛からない程度の場所なので、そこまでワン子供たちをカート(ミスター過保護なのでワンコ用ベビーカー)に乗せて押していく。砂浜で子どもたちの体力が続くまで走らせて、それを眺め、俺は写真を撮る。
帰ってきたらカミさんが砂だらけの子どもたちをお風呂に入れてくれる。僕はその間料理。休みはカミさんの為の料理をする時間でもある。

3年前、いちごがいなくなり、去年みるくがいなくなり。
6人家族だったのが4人になってしまってあまりにもまだ慣れないし、寂しく感じる。慣れってさって思う。
今でも不眠症がひどいのは、生まれつきからの理由も大きいけれど3年前からは余計にそれは悪化しているのは分かっている。つまりその理由は単純に直結している。

人間の子供はうちにはいないけれど、僕にとっては紛れもなく大切な我が子なのです。
店をあと4年で閉める理由もそこに繋がっている。
みるくがいなくなったあとに決めたこと。
もっと一緒に過ごしてあげる時間が欲しかった。
最高に仕事好きだからこそ、同時にそれは痛みとしても在る。

だからこそ4年の間は死ぬ気で働いてがんばって。
たぶんお金は貯まらないけど(笑)せめてその後は時間は少し欲しいなって。

ワンコ達の寿命は人間の平均の1/4とか1/5
どれだけ願っても僕が生きているとした間、ずっと一緒には居てくれない。
たった2日の僕らの1ヶ月ぶりの休み。
掛け算ならワンコ達にとってはとても長い1日だろうし、割り算なら短い。

預かった命。
そう思って暮らしています。
それを負う責任と使命。
それを、その時間とその命を欲しがったのは自分だから。

・・・

とまぁ、そんな感じの僕の休日です。
休みがあればほとんどそこに居ます。
正直言うとこの休みほど文字通り「朝から晩まで」料理ばかりをしているので、肉体的には実は結構疲れるんですけどね(笑)


ワンコのため、カミさんのため。
そんな為の人生です。

昨日のライブでの冒頭でもこの話に触れていますので御時間あれば御覧ください。

 

 

 

Posted by:Urano Takahiro ウラノ タカヒロ

Garage EDEN shop Editor.