全ては自由
ここ数週間はデザイン仕事に没頭したりあれこれと考える日々。
辿り着くのはやはり原点への回帰。
このシーズンに関わらずきっとずっと今までも同じ。
僕は旅路という命の中でいつも戻ることばかりを考えているようだ。
もちろん、見据えているのはいつだって未来的創造であり、でもそれは同時に過去への回帰であるようにも想う。
つまりは残像や陽炎が美しく見えるように手に届かないその影を追いかける日々。
憧れたのはその歌唄いの姿であったけれど、それはしばらくののちその唄の世界(つまり唄の中)へと変わったけれど、やっぱりその歌唄いが唄う唄の中の世界でも同じ格好(カッコいい)の姿を見つけることになる。
自分でも信じられないほど繰り返し、繰り返し今でも聴く時代遅れと時代外れの唄たちは世間などどうでも良いだろうと言うように今だって僕の心を叩くのだ。
僕が信じるものは、僕自身が信じたいこと。
きっとそれが変わることはないだろう。
20年と少し。
別に短い時間ってことじゃない。
そんな時の洗礼も信じてる。
僕の中で。
僕のルーツを探す旅。