イツモドオリ
ある種の何時も通りという言うべき眠ることの出来ない日が今日という1日であり、それは特別なことではなく僕にとってはただの「日常」とも言えることでも在る。
深夜の0時に布団に入りその2時間後には目覚めてしまい、今は気がつけば朝の5時と4分の針が通過しただけのこと。
本を開き、取り留めのないページから読み始める。
読書にルールが要らないように僕という時間に制限など無いと知る時間。
西瓜を思い浮かべる。
季節外れの突拍子もないような果実。
いや、正式には野菜と称される。
いつか西瓜を育てたいと思う。
苗を買い、小さな庭に植えるのだろうか。
白いパンジーは唄は良いがキャラではないか。
矢の様に真っ直ぐにそれを想う。
そう、西瓜の話。
理由は単純で板の様に平面だ。
カミさんがとにかく西瓜が大好きだということ。
そうだな、季節っぱズレの今の季節であっても目の前に、そこに西瓜があればきっと問答無用にそれを食べてくれるような気がするのだ。
眠れない日に、夜に理由など無い。
黒猫ニャンコが明け方のクラブで踊るほどに理由など無い。
今はまた森のなかに居る。
たった独り。
この世界。
どこにもいけないこの世界だけは自分だけの世界で在り、それだけが許される。至福とは言い難いが、それでも僕はこの世界にまだ血を流して生きている。時限爆弾を背負ったままで。療養中、景色が見えない世界。クールな瞳。厳格を通り越した幻覚。真夜中のブルースとロックンロール。9%とあっちの地平線。
しみったれた世界だって悪いもんじゃない。
今週は沢山の「デザイン」をやろうと思っている。
デザインってなんだろう?
そんなことに答えを求めた奴はロクなもんじゃないって知っている。
radioのパーソナリティに憧れた。
でも憧れは嘘つきだ。
勉強について考える。
学ぶことは良いことだと想う。
でも勉強ってなんだ?
学校はなにを教える?
そう、勉強の仕方を教える場所であり、勉強とはなにかを教える場所だと考える。
勉強が必要なことは誰も教えてくれない。
学校とは勉強の方法を教える場所だと誰かに聴いた。(厳密にはその誰かを知っているが言わない)
もっと世界は晴れた方がいいのか?
別にそうは思わない。
僕は曇りの空の方が好きだから。
歪みに合わせて僕は歪むのか。
世界が歪んでいるから僕が歪んで見えるのか。
時折考える。
時系列とデータが混在する。
針を戻す。
たった独りとしっぽを持った小さな子供たち。
救われた人生と意味の無い命。
捧げる心の無い自分が嫌になることが在っても砂時計の砂が落ちることをやめないように365 ✕ 5だけは前へと進む。
退廃したモノクロームが映し出す世界だけを想像して僕は頭の中でCREAMを掻き鳴らす。JORKERを引いたのは誰だ!?
JORKERを引いたのは一体誰なんだ。
いつの日かのそこに在る西瓜の花を思い浮かべて。