2023年10月の旅の話

今日の夜からは自分自身のブランド Thee Old Circus のコレクション(2024 Spring)

お時間あればぜひ遊びにいらしてください

さて、One Family の記事は随分と久しぶりに書くような気がする

南三陸(宮城県)への旅路「散文日和」 _ 1/645

散文だけれど先月の旅の際に書いたブログ

こちらのブログに移ってからはあまり書けていなかった

—– One Family 記事一覧

以前のブログの方ではもっと多くの記事を書いていました

—– One Family 記事一覧(旧ブログ)

—– One Family 記事一覧(さらに古い旧ブログ=写真だけアップしていた)

 

気がつけばもうすぐ12年
震災が起こる前までは東北という場所にすら行ったことがなかった
あの日
3.11
僕の人生は明確に「それまで」と「それから」が区別されるようになった
僕自身はあの日いつも通りに東京に居て、揺れが起こったまさしくその時はラフォーレ原宿の最上階で生地の展示会へ足を運んでいて6Fだったかのビルの上はグニャングニャンとまるでそれは硬い建物とは思えないほどの揺れだった
エレベーターが止まり階段で下まで降りた
地面にはガラスが散乱し多くの人が建物の外に出て明らかに恐怖におののいていた
近くに停めていたバイクは幸いにも倒れてもおらずエンジンは問題なく掛かったからそのまますぐに事務所へ戻ったのを覚えている
地下の事務所(今の店)は地下らしく大きくは揺れなかったようで、置物の骸骨の陶器が1つ落ちて割ていた

それが僕にとっての唯一の被害だった

震災は僕になにをもたらしたのか
置物ひとつ失っただけの僕

その後旅を始めた
繰り返し通う旅
場所は宮城県南三陸町
大きな津波の被害があった場所
仮設住宅を巡り「誰か一緒にお仕事しませんか?」と、聞いて回った
こんなガラの悪いチンピラみたいな兄ちゃんに手を挙げてくれたのが今でも続く「さっちゃん」たちとの出逢いだった

今回はようやくコロナ禍を越えての最初の旅
コロナ禍の間には数回しか向かえなかった
時々行っては短時間の滞在といつもお世話になっているお宿のお父さんたちへ置き土産だけをして帰ってきたり

朝の6時東京を出発
書けないけど今回は1人同行者を迎えに行ってそのまま東京から北上した
お昼頃に1人目のおかあさん(こちらもお顔はNGなので写真なし)のところへ顔を出し、コロナ禍の間の近況、お孫さんが生まれた話、退職したお父さんの話、そしてこれからの僕との仕事の話
2時間くらいお茶を頂きながらあれやこれやを
あっという間の時間

その後、一度南下して女川町へ

僕らが内陸側にいる間に壮絶な雹が降ったらしく10月にも関わらず雪のようにそれが積もってた

敢えて白黒にしておこう(笑)

「クリやん」

この旅(今までの)の途中で出逢った貴重な人間
偶然同じ歳でなんだか気が合った
時々東京からこっちまで乗せて行ったり、東北から東京へ乗せて一緒に帰ってきたり

たぶん(いや確実に)なにげに生涯に渡って付き合いが続く腐れ縁(まさしく)になると思う
旅はそういう素敵なプレゼントも僕にくれた

彼は石鹸屋(オリジナル)をしていて、この10月で自分の店を閉める決断をした
—– こちらのページでご覧いただけます(Amazonでぜひ購入よろしく!)

実にこいつと知り合い、こいつが居てくれたおかげで南三陸での旅の在り方は大きく変わった
さっちゃんを始め別の方も「クリヤさんの知り合いなら」と安心してくれたのは大きな事実

この10年以上の間でクリやんとは旅の途中で時々会うだけの関係で日頃からなにか連絡のやり取りをするわけではないけれど、「いつもどこかにずっといる」というのはいつも助けられた
これからもきっとその付き合いが続くんだろうなと

で、クリやんの店を後にして「一緒に」宿へ
僕の旅の定宿

—– 津宮壮

毎度恒例の「絶対に食べきれない最高に美味いご飯」が待っている(これ、リアルに全部食べきれた人見たことない)だって・・・この写真以外に「焼き牡蠣」+「ありえないサイズの大皿の刺身盛り合わせ=じゃぁ小鉢意味なくね?って(笑))

カッコよく焼き牡蠣の殻を向いてくれるおとうさん
いつも泊まりに行くとおとうさんは自分のお酒を持ってきて一緒にご飯の場に来てあれこれ話をしてくれる
この時はクリやんも一緒(夜中に帰っていった)で最後はおかあさんも来てみんなで日付が変わるまでしゃべった

・・・僕は飲めないお酒(下戸)をちょっと飲んであっという間にもう眠かった・・・

おかあさんたちがディズニー好きってのは知っていた
宿のあちらこちらにぬいぐるみがあるのも知っていた

この子たち

実は震災当日に津波に飲まれた子たちだと初めて聞いた

震災前にはもっと沢山のディズニーで買った思い出の子達がいたんだって
あの日のあと、おとうさんは津波で流された瓦礫の山を1人歩き、この2人の子を見つけて帰ってきた
まだ水道も復旧してなかったから泥だらけのこの子達を近くの川で何度も何度も洗って、洗って

おかあさんはそれがとっても嬉しかったと

あの大変な日々の思い出話をしながら言っていた

僕があの震災をきっかけにこの街へ通っているのをおとうさんたちは知っているから、いつも行くたびにあの日の話をしてくれる
どれだけ聞いても、まだ知らないことがたくさんある
それだけ沢山の大変なこと、悲しみがあったってこと
もう今ではどこにも瓦礫の山もないけれど、それでもこの場所へ来てその時の話を聞くこと、触れることは僕はとても大切に思う
絶対に忘れないために
自分自身が出来ることを探すために

普段は食べない(1日夜だけの1食生活)朝食も頂く
これまためっちゃ美味い

そうそう、ひろみさん(おかあさん)ととおるさん(おとうさん)の作るご飯はとにかく美味いし僕の口に合う
前日の茶碗蒸しと朝食のお味噌汁(写真がないね)が美味しすぎて

「ねぇ、ひろみさんあれってどうやって作ってるんですか?教えてくださいー!」と厨房まで勝手に付いて行ったり

それにも丁寧に答えてくれる2人が僕は好きだ

朝食を終えて宿に別れを告げてさっちゃんのところへ
近況やこちらでも今後のお仕事の話をして
そして・・・

「かりんとう(うちの会社名)さんの生地がね、いっぱいになっちゃってなにがなんだかわからなくなっちゃったんだよね〜・・・」

と、さっちゃんが言うので一度引き取って選別し直してきますねと安請け合い
空っぽのハイエースの後ろに積んだらミラクル的にもうパンパン!!!(笑)

東京へ戻って来てイタウと2人で降ろして選別するのに丸1日掛かった 汗


自宅へ

1泊とは言え往復1000km(実際には今回は1100kmだった)の運転は体に堪える
10年前は日帰りとかも良くやっていた
我ながら単純にまぁ歳を取ったなと実感するのもこの旅
旅自体いつまで、どこまで続けることが出来るのかわからないけど

「もういいよ」

と言われるまでやると勝手に決めて始めた旅

だからきっと僕はまたこの地へ向かうだろう

 

 

( 週刊日和 )

月曜日 —「お散歩日和」 日常の在り方つらつら
火曜日 —「革パン日和」 モノの在り方つらつら
水曜日 —「散文日和」 頭の在り方つらつら
木曜日 —「ロックンロール日和」 心が揺れる音楽・乗物つらつら
金曜日 —「お便り日和」 明日のライブやメルマガ予告
土曜日 —「牛丼日和」 愛の在り方つらつら
日曜日 —「ピクニック日和」 ブログはおやすみ

* 毎月11日は ” One Family ” 「遠足日和」の記事となります(月刊日和)

—– Official Web Store / Garage EDEN

153人 会員制セレクトショップ 2025年7月31日 Close

Posted by:Urano Takahiro ウラノ タカヒロ

Garage EDEN shop Editor.