もちろんそれだけではないとしても
明日 9/21 というのは僕とカミさんとワン子どもたちにとっての特別な日
カミさんの父親(お義父さん)
長女のいちご
次女のみるく
みな、同じ日に天国へ先に逝ってしまった日
あまりにも偶然すぎる悲しい日
9月21日
これがもう3年も前のこと
時間が経つのが早く感じるのはきっと自分自身が歳を重ねたからだろう
人間の子供が居ない我が家では(いや、きっとそれは関係ないのだろう)ワン子どもたちは自分たちにとって紛れもなく心から大切な子供達
自分自身の命と引き換えにしても少しも後悔もないことは自明の理だと言える
「もっと一緒に居たかったし、居てあげるべきだった」
そんな後悔も生涯消えることがないと思っている
今居てくれる我が子たち
そらまめ ここあ くるみ
言いたくないけれど、預かりものの命だから最後の時間を看取るまでが親の責任、責務
我が子よりも先に逝けないこと
それはある意味では僕自身の命のブレーキにもなってくれている
眠れない夜についそちら側を想ってしまう僕にとってはかけがえのない存在
もちろんカミさんも
あと2年
長くてきっと短い
もし僕がこの後悔を懺悔として生きることができるのであれば、それは今ここに在る命とより共に過ごす時間を持つこと
親を選べずに生まれてきたこの子たち、今は空の上にいる子たちへ向けても
こんな親だけれど自分の命の全てを注ぎたい
僕に出来る愛し方
入れ墨を嫌う人も多いけれど、僕にはもっと別の特別な意味がある(そもそも他人からどう見えようが僕は少しも意に返すことはない)
左の前腕には いちご
右の前腕には みるく
と、刻んだ
2人を良く抱いたこの腕だから
ずっと不安定に生きてきて
人間としても仕事としても
仕事は相変わらずだけれど、それでも人として多少は陽の当たる世界に居られるようになれたのはカミさんが連れていたいちごだったんだ
いちごがすべての僕らの始まりでこどもたちに出逢うことが出来た
2020.8月
会員制という店に変えて
時間を5年と決めた
残りは2年を切った今
店が終わったあとに子どもたちとどのくらいの時間を過ごせるのか僕にもわからないけれど
でも、それが理由
ペットのため?
(ペットという表現は普段はしない)
そうです
それが僕の理由
僕の命
明日から数日お休みを頂きます
戻ってきたらまたがんばります